2009年8月24日 (月)
2009年8月11日 (火)
16号
8月に入ってからの気候は梅雨が明けても、梅雨が続いているような晴れやかな日になかなかお目にかかれません。そんななかの台風と地震の天災は人に何を伝えたいのか、よく分かりません。ただ人々の生活が、人間中心の傲慢なものになって久しく時が流れての今日だろう、ということはうっすら分かります。ほんの数日前に発刊された「はるもにあ」16号の<Andante>で満田主宰はこんなことを書かれています。「俳句のために使う多くの時間とエネルギー、それが自分一人のためであるなら虚しい。自分のためでないなら、いったい何のためなのか、誰のためなのか。私はまだ答えを出していない」この俳句への思いを、そのまま人生、生きるということに代えても意味の質は変わらないと思います。せっかく一生懸命生きてゆくなら、自分ひとりのため、なんていうちっぽけな料簡は捨てて、より多くの近しく感じる人のため、そこから敷衍する地球の生きものとの共生を楽しい、と感じるための人生、俳句とつきあってゆけたらと思います。
水音に包まれてゆく三尺寝 満田春日



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