16号
8月に入ってからの気候は梅雨が明けても、梅雨が続いているような晴れやかな日になかなかお目にかかれません。そんななかの台風と地震の天災は人に何を伝えたいのか、よく分かりません。ただ人々の生活が、人間中心の傲慢なものになって久しく時が流れての今日だろう、ということはうっすら分かります。ほんの数日前に発刊された「はるもにあ」16号の<Andante>で満田主宰はこんなことを書かれています。「俳句のために使う多くの時間とエネルギー、それが自分一人のためであるなら虚しい。自分のためでないなら、いったい何のためなのか、誰のためなのか。私はまだ答えを出していない」この俳句への思いを、そのまま人生、生きるということに代えても意味の質は変わらないと思います。せっかく一生懸命生きてゆくなら、自分ひとりのため、なんていうちっぽけな料簡は捨てて、より多くの近しく感じる人のため、そこから敷衍する地球の生きものとの共生を楽しい、と感じるための人生、俳句とつきあってゆけたらと思います。
水音に包まれてゆく三尺寝 満田春日
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コメント
写真の花は姫小百合でしょうか、美しいですね。
このあいだ、母の米寿を祝い、
0歳の孫から94歳の父まで総勢18人が集いました。
母はしきりに
「もう何もしてあげられない、むしろお世話をかけるばかりなのに申し訳ない」と恐縮しておりました。その時、
いつも誰かのためにならなければいけない、という思いは少し父母のために寂しいと感じました。
だって、
高齢になってもこうして元気でゴキゲンな毎日を
過ごすことができるという、
ただそれだけでありながら、
それこそが素晴らしいメッセージを受け取って、
そこに集った我々は、どんなにか安心して日々を生きていけることでしょう。
父のように、幾たびも生死をさまよう病気をしても、またこうしてちゃんと気持ちよい日常へ戻ることができたという、
どんな病だって高齢だって、
諦めなくてもいいという安心感。
こんな長寿の生命力を共有できる
ことは本当にありがたいことですね、
親族はもちろん、周囲の知人も、
町も、自然も。
投稿: まもん | 2009年8月16日 (日) 08:40
花は擬宝珠です。
花より下から見上げる角度で撮りました。
そうするとユリ科の花だと分かりやすくなりますね。
ところでお母様の米寿おめでとうございます。
まもん様のきっと長生きされることと思います。
安心して暮せて、
そのなかで自然と上手につきあえたら素敵な生の
全うだと思います。
投稿: 海渡 | 2009年8月16日 (日) 11:10